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國玉丸(くにたままる)〔船名読みは『昭和十七年版 日本汽船名簿』による。〕は、かつて玉井商船〔合併を繰り返し、2015年末時点では商船三井。〕が運行していた貨物船。陸軍省により徴傭され、輸送任務中に撃沈された。 船名は、玉井商船が運行した船としては唯一のもの。 ==船歴== 玉井商船から播磨造船所に発注され、1940年3月24日、播磨造船所相生工場で建造番号297番船として起工。11月22日、進水。1941年1月31日、同所で竣工。 11月11日、在広州第二十三軍に対し、台湾から砂糖90トンを輸送。 1942年4月2日、シンガポールで第二十三師団独立工兵第二十六連隊第二中隊第四小隊を乗船させ、モールメンへ輸送。 12月から第二十三軍杉浦支隊のアンボン、ミミカなど豪北方面への進出に従事。 1943年2月18日、スラバヤで第五師団歩兵第十一連隊の一部を乗船させる。19日、第1号駆潜艇の護衛を受け、アンボンへ向けスラバヤ発。21日、船団はサンゲアン島北5カイリの地点でアメリカ潜水艦スレッシャーの攻撃を受け、本船の右舷に魚雷1本命中。本船の右舷正横800mに位置していた桑山丸も被雷し、こちらは沈没した。本船は桑山丸の遭難者368名を収容し、アンボンへ向かった。 11月4日、第4号掃海特務艇の護衛を受け、バボへ向けアンボン発。6日、バボ着。10日、アンボンへ向けバボ発。11日、ケラン水道北口〔遭難地点は第二十四特別根拠地隊戦時日誌(昭和18年11月1日-30日)による。船舶運営会『喪失船舶一覧表』ではボルネオ島クチン沖、全日本海員組合『戦没した船と海員の資料館』ではセラム島ブラ北東90km の地点としている。〕でアメリカ潜水艦カペリンの攻撃を受けて被雷し、沈没した。沈没の際、便乗者船員あわせて9名の犠牲者を出した。生存者90名は、第4号掃海特務艇に収容された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「國玉丸 (1940年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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